2014年7月31日木曜日

荷造りウツ

ピッツバーグに戻る日が近づいてきたので、スーツケースを開けた。

荷造りが嫌い。あの広くて狭いスペースにモノを詰めるのが、何度やっても難儀。
でもって、着いた先でまた荷ほどきをするのも嫌い。

だれのためでもなく、自分が好きで往復しているので、誰にも当たり散らせないはずなんだが、とまとまんに当たってしまうのである。気の毒な とまとまん。

2014年7月30日水曜日

運転免許証の更新

運転免許証の更新に行った。

みごとに今回もゴールド免許。前回の更新以来、日本国内ではまったく運転していないので、当然やけど。

帰国中、レストランでもスーパーでも、お店の人の非常に丁寧な対応に感銘を受けてばかりだったが、免許更新に行った場所の職員さんの対応は、無愛想に感じた。他がよすぎるので、ギャップが生まれただけかも。アメリカ基準でいったら、べつに普通だったかな。

2014年7月29日火曜日

うなぎの対策

夕食をつくっているとき、ラジオでは土用の丑の日にちなんで、絶滅危機にあるウナギを救うには、みなさんはどうしたらいいと思いますか? というかんじのテーマで、リスナーからの意見を求めていた。

ずばり、
食べないことである。

日本にいると、土用の丑の日とかいって、盛んにあおられるが、
ピッツバーグにいりゃ、そういう日があることすら、忘れている。

ウナギ以外でも、日本国内、おいしいものだらけではないか!

2014年7月27日日曜日

2週間の旅

この2週間、実家も含めて日本国内をあちこち回っていた。

1週間とか2週間の帰国だと、自分ととまとまんの実家を回るだけで終わる。それはそれでいいんだが、両家の移動もなかなか大変で、家族・親戚に会うだけで精一杯。それゆえ帰国中でも、友達にはなかなか会えない。

今回人に会うために2週間を費やせた、というのは、とっても幸せなことだった。とはいえ、会いたいな〜と思う友達や知人のうち、実際に会える人は半分にも満たない。会いたい人に連絡しすぎると、自分の日程がギュウギュウになり、苦しい。しかし連絡したいのにしないのも忍びない。ゆえにどちらにしろやはり苦しい。

日本ってなんでこんなに広いのかー。
面積ではカリフォルニア州より狭いことになってるが、やっぱり広い。
アメリカのある友人は、
「私は○月○日にどこそこにいますので、来られる人は会いに来てくださーい!」
ってアナウンスすればいいのさ、と言うが、
この方法は失礼な感じがして、出来た試しがない。

私のために時間を作ってくださった皆様に頭が上がらない。
ふだんなかなか会えないイトコ、助産師として働いていた頃の同期の友人、エモリー時代にお世話になった友人、学生時代から私の憧れだった看護師や、恩師の紹介のお陰で今回初めてお会いした人など。アメリカ西海岸に住む友人と思いがけず日本で今回会うことができたのも、非常に幸運だった。

長年会っていなかった友人、特に学生時代初めて再開した友人が語ってくれたウン年分の近況は、話すとあっという間だった(しかも終始笑顔)けれど、実際にはものすごく長い時間と苦労がかかっているわけで、それをダイジェストでシェアしてもらえるのは、本当にありがたいことだった。

みなさん、ありがとう!!!

2014年7月14日月曜日

寝込む

喉が痛いなぁ、と思いながら何日か過ごしていたら、ついにダウン。
1日ゴロゴロと寝続けて、よくなった。よくもまぁ、こんなに眠れるもんだ。

食事の時間になると、がばっと起きて、いつも以上によく食べるので、とまとまんは「ホンマに体調悪いんか?」と思ったらしい。決して、とまとまん料理を期待して寝込んだのではない。念のため。

2014年7月13日日曜日

ちきりん『未来の働き方を考えよう』

この本のサブタイトルは「人生は二回、生きられる」だが、この本を読んでいると、2回どころかもっと多様に生きられそうに思えてくる。

世界が変わる、時代が変わる、自分自身も家族も変わるなかで、いかに自分オリジナルの人生を作っていったらいいのか、ヒントを与えてくれる。

自分の働き方、生き方に楽しく悩める小芋に、とてもぴったりの本。おススメ。

2014年7月12日土曜日

あなたは1年以内に妊娠したいですか?

あなたは1年以内に妊娠したいですか?

この質問にたいする答えが、yes の場合、no の場合、そして分からないウンヌンという場合それぞれに応じたアドバイス満載のウェブサイトを発見。
http://beforeandbeyond.org/toolkit/

かかりつけ医など女性のプライマリーケアにあたる医療者が、ルチーンで毎年この質問を患者さんに投げかけ、患者さんにあったサポートが効果的にできるように作られている。自分のルチーンケアを振り返る手がかりとして、また一歩踏み込んで調べたいときの資料として役立つと思った。

ここでpreconception care (受胎前のケア、妊娠前のケア)というくくりで扱われている内容って、生殖年齢にある女性のWell-woman Visit (1年に1回の診察)でやっている内容そのものだ。

「あなたは1年以内に妊娠したいですか。」とわざわざ質問することなしに診察を終えることも可能だが、あえて最初のほうでこの質問を投げかけると、医療者が患者さんのプランを把握しなおすために役立つだけでなく、患者さんにも一瞬止まって考えてもらうことになるし、その質問のあとに続く内容にも影響するので、鍵となる質問だなと思う。

2014年7月11日金曜日

宗教を理由として避妊薬を保険対象外にすることを認めた判決

6月30日、米国最高裁判所は、ある私企業の経営者が、自らのキリスト教の信仰の自由を理由に、従業員に提供する健康保険から避妊薬・避妊器具などを保険の適用から外すことを認める判決を下した。

小芋は、これを非常に残念に思っている。

妊娠すること自体が命取りとなりかねない持病を抱えた女性にとっては、避妊薬・避妊器具は命綱でさえある。また避妊薬は、避妊のためだけに使われているのではない。子宮内膜症、月経過多、貧血、月経痛をはじめとするいろいろな症状の対策としての役割も大きい。また、ピルなど、卵巣がん予防効果を大きく発揮するものもある。

従業員達は必ずしも経営者と同じ考えとは限らないし、たとえ同じ信仰を持っていたとしても、自分の健康状態や子どもを何人欲しいかという希望によっては、むしろ避妊薬・避妊器具を使いたい人だっていると思う。

保険の対象外でも、もちろん自己負担すれば、避妊薬・避妊器具は使えるはずだと思うが、そうなると、使い勝手や避妊効果の大きさよりも、目先の費用で一番安い物を選ばれやすくなったりするだろう。

一人一人の女性が、個人的な意思決定をすればよいし、するべきだ、と小芋は信じる。経営者の個人的信仰によって、現に今生きている女性の健康を守る手段へのアクセスが大きく後退するのが、やりきれない。

2014年7月10日木曜日

婦人科受診はスカートで、の謎

子宮頸がん検診など、婦人科系の診察を受けるうえでの心得について日本語で書かれたパンフレット、本、雑誌の記事などに、よく服装についてのコメントが書いてある。

たとえば、
「ゆったりとしたスカートがおススメです。」
「パンツ(ズボン)はNG。」
「服装はなるべくパンツやタイトスカートより、フレアースカート、ロングスカートでお願いします。」(えらい細かいなぁ!)

患者さんがジーンズで現れようが、レギンス姿だろうが、診察室にバスタオルあるいはそのくらいの大きさの布1枚あれば、まったくへっちゃらだ、と小芋は思う。

今の職場では、下半身だけの診察でよい場面では、下半身だけ服を全部脱いでから柔らかい紙製のカバー(バスタオルサイズでふわっとしている)を腰から足にかけて掛けてもらっている。

全身の診察をするときは布製の診察用ガウンに着替えてもらうことが多いが、患者さんが着ているのがブラとざっくりしたTシャツだけ、というようなときは、わざわざガウンに着替えるかわりに、ブラの背中ホックだけ外してもらって、あとは必要なときだけとTシャツをまくれば、背部や胸部の診察も問題なし。

ガウンに着替えるより、上半身だけでも自分の服のままでいるほうが、患者さんがリラックスしやすいように感じている。小芋は、病院ガウンを着ただけで、病人になった気分になる。

ただ、ぴちぴちタイトなシャツを着ていたり、複雑に重ね着しているようなときは、ガウンに着替えたほうが、お互いのためである。

なお、クリニックによっては、用意しているガウンが紙製(使い捨て)のところがある。布製だと業者に洗濯に出す必要があるので、紙製のほうがちょっとコストが安いかもしれない。でも、これはまるで死に装束みたいで格好悪いし、着心地は悪いし、診察の最中にビリビリ破れるときもあり(特に汗を吸うと簡単に破れる)、小芋は嫌いだ。

2014年7月9日水曜日

婦人科検診で内診をするべきか

American College of Physicians (米国内科学会)が、妊娠中でなく、かつ特に症状のない成人女性に対しては、ルチーンの内診は不要だ、とする臨床ガイドラインを出した。
http://annals.org/article.aspx?articleid=1884537

もちろん、子宮頸がん検診のときに膣鏡を使って子宮頚部を肉眼的に観察し、頚部の細胞を採取することは必要だ、としているが、その場合でも、双手診は不要だ、としている。双手診とは、片方の手をお腹の上に置き、もう片方の手を膣に入れ、両方の手で子宮や卵巣を”サンドウィッチ”するように行う内診のこと。

今回のガイドラインの土台になったのは、1946年から2014年までに英語で書かれた文献の、系統的レビュー。レビューの結果、結局内診しても、卵巣がんや細菌性膣炎の診断にメリットが特にあるわけでないことがわかり、また内診が卵巣がんによる死亡率や罹患率を下げる効果もないことが明らかになった、と。むしろ内診によって、かえって診断のしすぎ、治療のしすぎ、また余計な不安・羞恥心・痛み・不快感などを招いている、としている。

このガイドラインに対し、ACOG (米国産科医婦人科医学会)がどう言っているか見てみると、現在の科学では、無症状かつ低リスクの患者さんに内診をすべき・すべきでないという科学的根拠に乏しいのを踏まえた上で、するかしないかは個々の患者さんと診療する側が話し合って決めるべきだ、としている。
https://www.acog.org/About-ACOG/News-Room/College-Statements-and-Advisories/2014/ACOG-Practice-Advisory-on-Annual-Pelvic-Examination-Recommendations

その一方、ACOGは、内診することによって、性機能障害や尿漏れなどの問題を把握するきっかけになったり、解剖学を患者さんに説明したり、正常な様子を患者さんに伝えて安心を促したり、患者さんの質問に答えたり、といった科学的根拠には必ずしも上がってこない内診のお得感(?)もある、とアピールしている。

今回のACPガイドラインとそれに対するACOGのコメントを読んで小芋が思ったことは、次のとおり。

  • たしかに、内診がきっかけとなって、患者さんと更年期以降の患者さんの膣萎縮症状について自分から話題にあげたり、尿漏れや性器脱の発見に至ったりすることがないでもない。
  • しかし、患者さんにとってみたら、内診大好きなんて人は皆無であり、なかには内診のことを考えただけで受診を避けてしまう人もいるくらいだ。
  • 今回出たACPのガイドラインは「無症状の成人女性に対する内診には実は明らかなメリットはないんやで。過信すんな、むやみにやるな。」、ということを喚起してくれてて、注目に値すると思う。医療の基本は、Do no harm. (患者さんに害になることをするな。)である。
  • 子宮頸がん検診でも、最低限必要な膣鏡診だけにして、双手診をやらないとすると、骨盤エリアの診察の不快感のざっと半分はなくなるかも。それを歓迎する女性は多いだろう。
  • 婦人科の診察=内診付き、ではなく、主訴・自覚症状・年齢などを総合的に考えて、自分が内診不要だと思う場面では「やらなくていいとおもう」意を患者さんに伝えて行きたい。
  • 一方、問診のなかで、なんらかの問題が浮かび上がって来たときは、むしろ積極的に内診を勧めようとおもう。(極端に内診しないというポリシーに傾きすぎるのも危険。)
  • クラミジア・淋菌感染症の検体をとるときは、これまで以上に自己採取(膣部または尿で)を勧めていこうと思う。
  • ルチーンでやっていたことを止めるって、診療側にも患者さんにとっても、ともすると、はしょっているとか、さぼっている印象を招きかねない。内診をするにしろ、しないにしろ、メリットデメリットの説明を惜しまず、患者さんに安心感と満足感を持って帰ってもらいたい。

2014年7月8日火曜日

モノ厳選修行2・片付け祭り

我が家で「こんまり」さんや ゆるりまい さんの本に刺激されているのは、小芋だけでない。実は とまとまんも。

ということで、雨ザーザーの日曜日、華やかに(散らかし放題)片付け祭りを開催。

とまとまんは、「僕は、もうずっと前からここに書いてあるようなことをやってきた!」と豪語していたが、小芋に負けず劣らず、いらんものが出てくること、出てくること。

大学入試の合格通知を大切に取っておいているのを見て、「卒業証書があるんやから、入試の合格通知はもうええやん。」とフフっと笑った小芋だったが、
その後自分の助産師・看護師・保健師国家試験の「受験票」や看護師籍などの登録完了のハガキを発見し、とまとまんに笑い返された。。。免許証があるので、これらはもうごっそり捨てた。ハイ。

2人で同時に作業すると、大きなゴミ袋いくつも分のゴミがまとまり、すっきり!
と思いきや、「やりかけ」の山や、ひもで縛った紙ゴミや布ゴミ(来週まで捨てられない)などのせいで、祭り前よりずっと荒れた家になってしまった。狭いアパートの宿命であるとはいえ、片付ける前より汚いって、なんか悔しいねぇ。

モノは極力持ってはいかん。そして、引越しなくても、引越のとき並みの片付けは数年に1度せないかん、と強く思う。

2014年7月7日月曜日

ちきりん著『自分のアタマで考えよう』

ちきりんの著作で小芋が読んだ本の4冊目。

タイトル通り、自分の頭で考えることを指南する本。

データを見たら、「なぜ?」と「だからなんなの?」を考えることが大事だ、とちきりんは述べる。その例として、横軸に年代、縦軸に日本における出生数と合計特殊出生率を示したグラフを出して、これをどう見てどういうことが考えられるか、ちきりんが分析したことなどがいろいろ書いてある。

ちきりんの語りのなかで、出生数を増やす方法は、「親世代の人数を増やす」か「合計特殊出生率を高めるしかありません。(p.60)とある。

たとえ合計特殊出生率がこれから一切下がらなくても、親の人数がここまで減ってしまえば当然に子どもの数は急減 (p.53)するので、
合計特殊出生率をあげる」という少子化対策だけではこの問題はもはや解決できないということです。(p.53) と斬っている。

でもって、親世代の人数を増やすには、外部から出産年齢にある人をつれてくるしか方法がありません。(p.60) 

日本と反対に、アメリカには親世代や準・親世代の人がいろんな国から集まってくる国だ。

ピッツバーグに住んでいると、移住という形までいかなくても、仕事や研究や留学の形で滞在している同世代の日本人が、アメリカの出生率を上げるのに貢献(?)している。そうして生まれた赤ちゃん達の多くは、数ヶ月から数年程度の滞米期間のあと、日本に帰国(いや、むしろ I  ターンかな?)していることが多い。

こういう、外国生まれの日本人赤ちゃんたちは、いわゆる「日本の」出生数や合計特殊出生率の統計に入っているのか、ふと疑問に思った。大使館や領事館を通して「出生届」が出されていても、住民票が日本にない場合は、やはり「日本の」出生数には数えられていないかも?? どうなんだろう。

2014年7月6日日曜日

HPVワクチン中止の問題点を突いた新聞記事

厚生労働省がHPVワクチン(子宮頸がん予防ワクチン)の積極的な推奨を中止してから1年以上が経過してしまった。この間、日本の一般向け新聞では、

  • とにかく「HPVワクチン=危険」
  • ワクチンよりも、検診をより充実させればいい

という論調の報道が多かったように思う。(小芋はm3.com を通して、日本の医療系ニュースを読んでます。)

ワクチンと検診の2本だてが大事!と思っている小芋としては、とても残念に思ってきた。

「HPVワクチンなんてしなくても、子宮頸がん検診さえすればいいじゃん。」、という主張は、私からすると「火事は起きてから消火器で消せばいい。」と言っているのと同じに聞こえる。

どんなに気をつけていても、火事は起きる。だって人間は失敗するし、携帯電話が勝手に発火することもある。起きてしまった火事は、消火器や消防車で精一杯対応するしかない。でも、消火器があっても、すでに火事が大きすぎたり消せなかったり、火事がほうぼうで起きていて、消防車が出はらっていて間に合わへん、とかいうんでは困る。だから、火事を起こしにくくする対策と、起きてしまった火事に対する対策の、「どっちか」ではなく、「どっちも」が大事。子宮頸がんも1次予防(病気にならないための対策)と2次予防(病気を悪くしないように早期発見する対策)で行こうやないの。

7月3日毎日新聞配信の以下の記事は、従来の論調と違っていて、ワクチン推奨中止により問題点に光をあてている点で注目に値する。

毎日新聞のサイト
http://sp.mainichi.jp/shimen/news/m20140703ddm013040014000c.html
m3.comから見る場合はこちら
http://www.m3.com/news/GENERAL/2014/07/03/230453/?portalId=mailmag&mmp=MD140703&mc.l=49454054

HPVワクチンの摂取率が高い国ではHPVウイルス感染率がワクチン導入前と比べて下がって来ている現状や、検診を毎年受けていたのにも関わらず 23歳で子宮頸がんを経験し、子宮全摘出術を受けた女性の声を取り上げている。

この記事に書かれていないことで、小芋が追加しておきたいのは、
「がん」までいかず、子宮頚がん検診で軽度や中等度の異常が見つかった場合であっても、精密検査(コルポスコピー)などを受ける中で経験する患者さんの不安(例「私、ガンかもしれないんだわ!」)、検査にかける時間と手間(仕事を休んだり、子どもを預けたり)、医療費(個人にとっても、社会にとっても)、なども馬鹿にならないということ。

それから、小芋が患者さんからよく聞く嘆きには、現在や過去のパートナーに対する不信感、パートナーとの関係性の変化、自己嫌悪感(性感染症にかかってしまった汚い自分!というような)、などもある。こういうのは、HPV感染率、とか子宮頸がん罹患率、というような堅いデータには出てこないけど、患者さんの生活・感情には、しばしば影響を与えているわけ。

先天性風疹症候群の予防のために、子どものうちから男の子にも女の子にも風疹ワクチンを勧めるように、HPVワクチンも男女両方の子ども達に一般的なものになる日がきてほしい。日本では女性向けにしか使ってないが、男女両方に勧めている国もある。

2014年7月5日土曜日

ちきりん著、『ゆるく考えよう』

図書館で借りてきた、ちきりん著の本4冊のうち、初めに読んだのがこの本。早速感想をメモ。

1章「ラクに生きる」中の「人生の主役を生きる」よりp.29一部を引用:
将来のために我慢して、準備して、危ない橋を避け、安全だとわかる道だけを選んでいたら、きっと「大失敗もないけど、飛び上がるほど嬉しいこともなかった」人生になってしまいます。
人生はいつ終わるかわかりません。それは明日かもしれない。だから今まさに、この時点から、自分の人生を主役として演じるべきなのです。

先日前職での協力医が突然亡くなった件もあり、小芋はこの節に非常に強く反応。周囲の反対あっても、看護学を勉強したり、留学したり、遠距離夫婦したりしてきて、人が「よせばいいのに〜」と思うことをたくさんしてきた分、大失敗も、飛び上がるほど嬉しいことも山盛りでこれまできたなぁ、と思う。

問題は、人生は明日、あるいは今日が千秋楽になるかもしれん、というところ。それと、自分だけでなく、とまとまんはとまとまんで、彼の人生の主役だ、というところ。舞台は共有しつつも、それぞれ独自の演目の主役なので、ま、ぶつかることもたくさんあって当然か。

2章「自分基準」で生きる、の中の「一点豪華基準」で選ぼう! よりp. 61 らへん

大事なことを決めるときに、一点豪華基準、つまりは自分にとって一番大事な点を優先した選択をすることが、ベストな選択になるのだということが書かれている。「他の人とは違うけれど自分としてはとても満足できているという「一点豪華人生(P.64より引用)にはすごく共感。小芋はしばしばなかなか「一点」に絞りきれなくて、あれもこれも大事、と悩む。。。

3章 賢く自由に「お金」とつきあう、の中の「10年以上のローンはダメです」 (P.80らへん)

日本に帰省中、アパートにはほぼ毎日のように家かマンションのチラシが入る。別に買う予定は全くないのだが、興味本意で一応目をとおしちゃう。ちきりんのこの項を読んでからチラシを見ると、視点がよりクリティカルになった。

4章 仕事を楽しみ未来をつくる、の中の「成長したい!だけではダメ、よりP.152
引用: 大事なことはインプットではなく、『アウトプットにつながるインプットなのです。

勉強、仕事の姿勢に喝をもらった。

最後に、
「おわりに」、の中の、楽観的であることー「よかった確認」

どんな災い(と思える)事態にも、よかった部分を探して楽観的に捉えようぜ、ということが書いてある。何事にも「ついてる、ついてる」を口ぐせにしている、と本に書いていた牧師のことを思い出した。

2014年7月4日金曜日

ちきりんのブログ記事

「ちきりん」という方が書いているブログ「Chikirinの日記」の6月11日付記事、タイトル「仕事と家庭の両立なんて、目指すのやめたらどう?」を小芋妹から教えてもらった。

もともとは小芋妹の夫が小芋妹に紹介し、小芋妹は小芋に紹介し、小芋はとまとまんに紹介し、と家族の間で広がって、我が家はすっかりちきりんブーム(?)である。

小芋はさっそく地元の図書館で、ちきりんの書いている本を4冊借りて来た。 順次報告していく。

2014年7月3日木曜日

モノ厳選修行

小芋は妹からときどき本を紹介してもらっている。

こんまりさんこと、近藤麻理恵さん著の『人生がときめく片付けの魔法』や、ゆるりまいさん著の『わたしのウチには、なんにもない。』はとても面白いだけでなく、とても刺激的だった。『なんにもない』のほうは、先日妹にあったときに3巻の途中までしか読めなかったので、次回会えるときが楽しみ。

これらの本に影響されて、この帰国中、まず引き出しの服をかなり減らした。といっても、よほどのお気に入りはすでにピッツバーグに行っているので、ここに今残っているのは、かわいそうにも「置いておかれた」服達。ゆえに、そこまで数も多くないし、さらに削るのも比較的楽。実際のところ、置いておいた服よりも、スーツケースに入れて運んで来た上下わずか数着ずつの服の方を良く着ていたりするのだ。

問題は本!
こんまりさんは、とにかく「ときめく」かどうかを基準にすることを勧めているが、いろいろと邪念が入って、ぜんぜんうまく行かない。(指示を守っていない証拠。)
今だいたい半分以下にはなったが、まだまだ。

助産学、看護学系の本は、思い入れがあるので、特に難しい。自分が手放せるもので、かつ現2014年においても使えそうなものは、近くの大学の助産学の先生にお渡しすることにした。(捨てなくてもいいのだ、と思えると、作業のやる気が増す。)

2014年7月2日水曜日

道ばたでベルマークのリクエスト

道を勢いよくカツカツと歩いていると、後ろから「すみませ〜ん!」という声。振り向くと、制服姿の小学生(3年生くらい?)の女の子が自転車でやってきた。

女の子:「ベルマークありますか?」

小芋:「たしかー、4枚くらいならうちにあったかもしれんけど。」

女の子:「ここから遠いですか?」

小芋:「5分くらいやけど(でも今は逆方向に向かっている)。今いるん?」

女の子:「あの、〇〇(スーパーの名前)に明日持って来てもらえないですか?」

小芋:「今晩でもいいん?」(スーパーにベルマーク回収箱があるのを知っていたので。)

女の子:「おねがいします。」

小芋:「覚えとくようにするわ。」

ということでその場は分かれた。帰って来てみると、ベルマークは先日姪っ子に全部渡してしまっていたようで、残念ながら一枚もなかった。

突然知らない小学生にこういうリクエストされて驚いた。それとなぜ「明日」ベルマークがいるのかもよくわからなかった。今から思うと、聞いておけばよかった。なんとも不思議な出会いだった。

2014年7月1日火曜日

協力医の死

小芋の協力医(collaborating physician) だった医師が、突然亡くなったという知らせを、もと上司から受け、非常にショックを受けている。

われわれ皆、死亡率100%とはいえ、やはり、よく存じ上げている方、とりわけ元気な方の突然の死には、やりきれないものを感じる。