2013年5月19日日曜日

四肢麻痺でも医師および博士号の夢を叶えた女性

高校生のときにスキーによる事故で四肢麻痺になったにもかかわらず、MD/Ph.D 獲得の夢を実現したメガン・ウィルソンさんという女性が、今日の新聞(Pittuburgh Post-Gazette)に紹介されていた。

メガンさんの強い意志、努力、またメガンさんに道を開いたピッツバーグ大学の教授陣に頭が下がる。一見不可能に思えることをどうしたら可能にできるのか、という視点で困難を一つ一つ乗り越えて行ったところが本当にすばらしい。

メガンさんがピッツバーグ大学医学部に出願したとき、教授会では身体診察ができない医師に対する疑問の声もあがったという。でもそこである一人の教授が、「最も優れた医師はただ一つの臓器を用いて仕事をします。それは脳です。彼女が貢献できる方法はたくさんあるでしょう。」と言い、その一言が全会一致の決定の切り札になったというくだりに、ぐっときた。

で、その身体診察に関しては、メガンさんは診察を手助けしてくれる助手を訓練して養成した。触診が必要なときは、その助手が触診した所見を聞き取って判断。聴診器を使う際はイアーピース部分をメガンさんが自分の耳にあて、助手が聴診器の先を患者さんの体にあてがう。

と書くとたった3行だが、一つ一つの困難を時間・努力・手間・お金をかけて解決してきたメガンさんと周りの人々のサポートに、心から敬意を表する。

記事およびビデオがこちらから見られる。
http://www.post-gazette.com/stories/local/region/meghan-wilsons-impossible-dream-to-be-doctor-comes-true-688258/

2013年5月7日火曜日

まだまだだ。スペイン語

先週ものすごく久しぶりに図書館の「スペイン語2」のクラスに行った。

最初の課題:歌の歌詞がところどころ虫食っている紙を渡された。歌を聴きながら、虫食いの部分を埋めるのが課題。ひょえ〜〜。15問中、確信を持って答えを書いて当たったのが1つ、自信なかったけれど当たったのがひとつ、聞いた音のままに適当につづりを想像して当たったのがひとつ、で残りは絶滅。

残りの時間:不規則動詞の過去形の活用をやっていた。きつかった!次回までの宿題もあり。

参加者は常連さんがほとんどのようであった。Coffee Break Spanish という無料のポッドキャストの存在を教えてくれた人がいて、今まで使っていたMango の教材と合わせて使い始めた。1回が15−20分程度なので、バスの中で十分聞き終わる。なかなかよい。

2013年5月6日月曜日

フルマラソン初完走!!!

きのう日曜日、おかげさまで、ピッツバーグ・マラソンを完走してきた。すばらしい天気に恵まれた。

ハーフマラソンとフルマラソンの分かれ道付近からすでに右ひざが痛くなりだして、Oakland に向かう急な坂を上るときにはとても堪えた。そこからは膝の具合を見ながらちょろっと歩いて、回復したらまた走り、を繰り返しててろてろと進んだ。

去年参加してハーフマラソンの時と同様、今回も沿道からの応援がすごくうれしかった。一般市民の人が、オレンジを差し入れてくれたのはとても効いた。レース中に多分全部でオレンジ2個分は軽く食べたと思う。

一番うけた応援は、4−5歳くらいの女の子数人のグループが、"Free Piggy-back Ride" と書いた紙を持って、"Free Piggy-Back Ride" とひたすら叫んでいた場面。 要は「おんぶ無料だよ!」という意味なのだが、まさか彼女たちが我々ランナーをおんぶしてくれるわけじゃあるまいし、おんぶさせてあげるよ、という意味なんだと私は受け取ったが、「それって応援かい??」と笑えた。笑ってリラックスさせることで応援なのかも。

最後の2マイル(3キロちょい)がえらく長かった。そこまでくると、もうほとんど膝があがらなかった。一応走ってはいるような、でも歩く方が早いかも、というくらいのスピード。なんせ足がスピードを決めているので、もはやラストスパートも何もあったもんではなく、呼吸・循環系はむしろらくちん。(5km, 10km  レースは最後頑張りすぎて、ゴールしてから気分悪くなるのがこれまでの小芋のパターン。)

帰ってきて、やっとの思いでシャワーを浴びたあとは、延々寝た。夜一旦起きてご飯を食べた後、またも朝まで爆睡。

今回自分はケガで参加できなくなったKさんから出場権をトランスファーしてもらうことができて、参加できた。Kさんとはオンラインコミュニティーを通して知り合った。とてもとても親切な人で、自分が走れなくなって悔しい思いをしながらも、メールで応援メッセージを送ってくれたりしてとても感謝だった。Tシャツのサイズも女性用のSだったので、私にぴったりだった。Kさんはあと少なくとも数週間は理学療法に通ってリハビリをする必要があるそうだ。でも、秋に予定されている他州のレースに向けて気持ちはもう張り切っている。


2013年5月4日土曜日

マラソン前日

朝とまとまんとSkype で話して、ファーマーズマーケットに行って、ヨガ教室に予定通り順調だった。

が、午後ピッツバーグ・マラソンのExpo 会場に着いてから、すっかり予定が狂った。休日の渋谷を歩いているかのような混み具合。

ここでいうExpo とは、マラソンの前々日と前日にコンベンションセンターというだだっ広い会場にて繰り広げられるイベント。主目的は、自分のゼッケンと参加賞のTシャツを取りにいくこと。(郵送はしてくれない。)

会場にはスポンサー企業各種が何百というくらい出店していて、ランニング用の服や靴はもとより、ビタミン剤、トレッドミル、お菓子、ミキサー、などいろいろなものが売っている。一番大きな品物は、トヨタの車!(ま、これは売っているというより展示しているという感じだが。)他地域のマラソン大会は宣伝に躍起。犬の里親さがしをしているボランティア団体なども。

私は今回ケガで参加できなくなった人から出場権をトランスファーしてもらったので、その手続き用の窓口に並ばねばならず、これにどえらく時間がかかった。結局そんなこんなで、Expo 会場に2時間以上滞在してしまった。

おかげでその後の予定がぜんぶ押せ押せとなり、夕飯を食べるのも8時を過ぎてしまい、それからやっと明日着る服にゼッケン付けたり、なんやかんや。せっかくこの1週間早寝早起きで通してきたのに、最後の最後にこの状態。はい、ともかくシャワー浴びて寝ます。

2013年5月2日木曜日

緊急避妊薬、15歳以上は処方箋不要とFDA決定す

米国食品医薬品局(FDA)は4月30日、緊急避妊薬 Plan B One-Step (levonorgestrel 1.5mg)を15歳以上の人に処方箋なしで販売することを許可する決定をした。これは、製薬会社Teva 社がFDAに出していた申請を認めたもので、4月4日に連邦裁判所が出した命令とは無関係の決断だという。連邦裁判所の命令とは、緊急避妊薬 Plan Bの年齢制限を30日以内に撤廃せよということ。

きのう5月1日、今度は司法省が連邦裁判所の年齢制限撤廃に関する命令に申し立て(?)をしたという。緊急避妊薬を巡る攻防はまだまだ続きそう。

緊急避妊薬 Plan B, Plan B One-Step、およびこれらのジェネリックは、現在のところ17歳以上でないと処方箋なしでは購入できない。今回のFDAの決定は17歳から15歳に年齢制限を変えたので、新たに15、16歳の男女が処方箋なしで購入できるようになる。14歳以下の人は、処方箋がないと購入不可。

今回もう一つ大きく変わったことがある。従来Plan B 類は薬剤師のいるカウンターの後ろに置くことが義務づけられていたため、24時間営業の大手スーパー内に設置された薬局であっても、早朝や深夜など薬剤師が駐在していない時間帯には購入できないという問題があった。これが今回新たに、一般の棚に置いてよいことになった。(レジの人がお客の身分証明書で年齢を確認する。)この決定はとてもよかったと思う。

コンドームが破れたとか、ピルを3錠以上飲み忘れたとか、一切避妊方法をとらなかった(レイプも含め)など避妊方法に失敗してからなるべく早く服用するほど効果がより高い薬であるため、いつでもアクセスできるような体制を作るのはとりわけ重要だ。

ただ、年齢を照明する運転免許証、出生証明書、パスポートなどがないと買えないというのは、依然厄介だ。15−16歳では運転免許証を持っていない人も多い。大人であっても不法移民などで身分証明書がない人もいる。そういう人にとってこそ緊急避妊薬がもつ「最後の砦」的要素はなおさら大きかったりするのだが。

ひきつづき、私は緊急避妊薬の年齢制限撤廃を求めたい。