2009年2月28日土曜日

州立公園の湖


写真: 氷が張っているので湖の表面が白くみえる。

今日は用事の帰りに、州立公園に寄ってみました。とっても広い公園で、私が今日歩けたのはほんの端っこだけ。自転車を貸し出すところがありましたが、「春までお休みです~」と書いてありました。散歩している人、走っている人、サイクリングする人たちと時折すれ違いはするものの、1人で歩いているとあまりに静かでちょっと不気味なので、30分くらいで車に戻りました。かなり大きい湖があるのですが、今日見られたのは、そのほんの「へり」です。暖かくなったら、ボートの貸し出しなんかもあるみたいです。今はまだ裸んぼうの木々に、みどり色の葉っぱが戻ってくるころ、また訪ねてみたいとおもいます。

2009年2月26日木曜日

YMCA のボール


YMCA で愛用のボール。

今日はとても暖かくって、12℃まで気温が上がった。YMCAに行くとき、コートの代わりにフリースのジャケットを羽織るだけで十分だったくらい。

しかーし、外の風景はあいかわらず変わらない。写真におさめる植物を探しているけど、深みどり色の低木や針葉樹が目に付くくらいで、春らしきものがない。去年の自分のブログを見たら、2月17日の時点で水仙が咲いとった。。

日が延びてきたのがせめてもの救い。写真は、夕方6:30のきれいな青い空。3月9日からは Daytime saving time、いわゆる夏時間が始まるので、日が暮れるのがもっと遅くなる。たのしみだ。

性感染症スクリーニング @ 大学

昨日は隣町の大学に出張した。午前中は女性健診、避妊の相談など。昼からは性感染症のスクリーニング検査。男女問わず、予約なしで来てよい。学生さんには費用負担なし。クラミジア、淋菌感染症は尿で調べ、HIV抗体と梅毒(RPR)の検査は血液検査で調べる。結果は1週間後に出る。

つぎつぎと学生さんが来てくれるのはとても嬉しかった。でも、普段クリニックでやっているほどには検査前のカウンセリングができなかったのが心残り。

2009年2月24日火曜日

銃社会

数日前のこと、ここからそう遠くない町で、11歳の男の子が、父親のガールフレンドの女性を銃殺するという痛ましい事件が起きた。女性はまもなく出産予定日を迎えるころであった。胎児も当然亡くなった。男の子は、自分の父親、父親のガールフレンド、ガールフレンドの2人の子どもたちと一緒に住んでいたという。銃は、「子ども用」のものだったみたいだが、それでも本物の銃。

地元紙を読んでいると、「この地方ではハンティングが盛んであるから、子どもが銃を持っていても不思議はない。」くらいのことを書いていて、家に銃がある社会環境をぜんぜん問題視していない。このような重篤な事件を起こした11歳の子どもを扱う法律がないとかで、11歳ではありながらも大人扱いで拘置所に入れられている男の子は、名前も写真もメディアに公開されている。

男の子をどう罰するかとか、更正させるかという議論も大事だけど、それ以前に、子どもが銃を所持していること、銃がそこいらへんに日常的にあることがもたらす危険性を問わずに、どうしてこの悲劇を語れようか。こういう考えは、平和な日本で育ったわたしだから思うこと? 最近は日本でも殺人が多いようだけど。

男の子の父親のことを思うと、やりきれない。愛する女性を失い、お腹の赤ちゃんを失い、そして自分の息子が殺人容疑者。。

2009年2月23日月曜日

身近な刑務所

この町に来て思うのは、刑務所がとても身近だということ。診察中に、「夫がもうすぐ刑務所から出てくるんです。」なんて話が出てくることも珍しくない。日本で言う少年刑務所のような施設から、手錠と足かせ(?)をつけられた状態で、10代の男の子が性感染症のチェックに来たこともある。ドラマには事欠かない環境。

ティーナがフロリダでの休暇から無事帰ってきた。おかげで、私も元通り診察できるようになった。(先週は別のクリニックからきたNPが来てくれた日にしか診察できなかった。)いつも以上に今日は忙しく過ごした。ペースよく働いていると、あほらしいTOEFLの問題のことなどを忘れていられるのでよい。TOEFLで詰まってしまったのがウソのように、ふつうに(自分なりの普通なので、ネイティブスピーカーの普通とは違います)話せるのが不思議だ。

そろそろ春の気配だけでも欲しいが、あいかわらず雪と氷でモノクロの世界。地元の絵葉書は、緑豊かな様子を写した航空写真、秋の美しい紅葉の写真などを使っているけど、本当にそういう姿が目の前に現れるのか、疑っちゃう。

2009年2月22日日曜日

めちゃくちゃな演奏会

気分を明るくせないかん、と今朝は教会に久しぶりに行きました。韓国人の女性2人と出会いました。2人ともアメリカ人と結婚して、10年以上アメリカに住んでいるようです。アジア人をとんと見ない環境で、アジア人と知り合えるとなぜかほっとします。

昼ごはんの後、おかずを作りためました。近くの町の大学で、室内楽の演奏会があるというので雪降る中おもいきって出かけていきました。

最初の弦楽アンサンブルでは、先生が途中でホルンの学生を退場させたり、2楽章と3楽章の間で「もっときれいに弾かなあかんやん!」と観客に聞こえる声で言ってみたり、コンサートマスターがカデンツァを弾いているところで「ちゃうちゃう! もっとこないに弾くんや。」みたいなことを脇から言ってみたりして(そう見えた)、コンサートマスターがついに切れてしまいました。自ら退場したコンサートマスターに代わり、その先生がコンサートマスターを引き継ぎましたが、学生たちはみんな怒ってしまったと見えて、曲の最後の和音はひどい不協和音で終わりました。演技しているのか、本気なのか、一見分からず、観客の1人としてはひやひやしました。

確かに学生たちの演奏は、音程にしても、刻みのテンポにしても、表現力にしても、アマチュア感が否めないものではありましたが(楽器から離れて久しいわたしが偉そうに言える筋合いはないんですけど)、少なくとも今日はコンサートなのだから、ベストを尽くしてくれれば私たち観客としてもあたたかい拍手を惜しまず送るわけです。学生のコンサートだと分かって来ているわけですし。先生は完全に邪魔でした。

つづく木管・金管の各アンサンブル、バイオリンとピアノ、バイオリンとピアノとフルートなどのアンサンブルは淡々と進みました。

最後に再び弦楽アンサンブルの演奏がありました。ここではさっきの先生がコンサートマスターを務め、セカンドバイオリンとチェロのトップも別の先生が務めていました。音楽的には、最初の曲より随分よかったのですが、なんせ始めにひどい場面を目撃してしまっているので、とても複雑な心境でした。学生の勉強のためのコンサートであるはずなのに、先生たちがおいしいところを取っちゃって、意味あるんかな、とも思いました。

学生の力を信じ、褒めて伸ばす先生が多い中で、このようなひどいことをする先生の下で学んでいる学生さんたちが本当に気の毒でした。せっかくの晴れ舞台だったのに。

エモリーのコーラスを指導しているDr N のことを思い出します。指示こそ厳しかったけれど、団員に対する基本的信頼感がありました。いっぱい褒めてくれました。よし、もっとやってやるぞー!と思いながら家でも練習して、毎週のリハーサルに臨みました。あそこにはプラスのいい循環がありました。リハーサルでも、本番でも、自分で歌いながら泣きそうになるほど、こみ上げてくる感動がありました。

音楽の指導と、診察室での患者さんとのやり取りは、だいぶ質が違いますけど、わたしはDr N 型でいきたいと思います。主役はやっぱり患者さんです。そして患者さんにはハッピーでいてほしい。信頼感というと、別の先生 Dr K のよく言っていた "Every patient is doing his/her best." という言葉を思い出します。そんなことを考えながら、雪道を帰ってきました。

2009年2月21日土曜日

あ痛たたたたたたたたたー

TOEFL 受けてきました。朝ごはん食べながら とまとまん とスカイプして、リラックスして行ったんですけど、「こんどこそ!」という気合というか雑念がどうしても入ってしまうせいか、スピーキングでまた詰まってしまいました。メモをとり、言いたいことを整理して、話し始めるのですが、--かつそのための練習をしてきたのですがーーつい言い直したりしてしまうのです。そうしている間に、45秒から60秒の制限時間が一刻一刻減っていきます。

きょうは考古学の問題がむちゃ多かった気がします。最初のリーディング(2時間弱)で早くもぐったりと疲れました。つづくリスニングはまあOK。10分の休憩の後のスピーキングで撃沈。そして最後のライティングは半分やけくそ。

オハイオまで行って唯一よかったことは、ガソリンがここいらよりちょっと安かったことです。あっちでは1ガロン1.82 から1.89ドルでした。ここらへんは、2ドル前後です。

帰りにりんご屋でりんご1かご買いました。帰ってきて、おやつを食べて、4時くらいから7時近くまでバクスイ。とまとまんに、朝7時半(こっちの夕方5時半)に起こすように頼まれていたのに、すっかり寝過ごしちゃいました。

とまとまん曰く、「失敗した経験は、他の人にとってむちゃおもろいで。これから小芋とおなじようなことをやってみたいと思っている人にむちゃ役立つとおもう。いままでのことも含めて本書いたらえぇわー。なんなら書いたろか? 夫の役目も入れたるで。」ということです。

きょうはいっぱい泣きました。きょうの出来だと、スピーキングの目標点には到達してないと思うので、また近いうちに再挑戦します。

2009年2月20日金曜日

試練~

諸手続きの一環として、TOEFL という英語のテストをまた受けないといけないことになってしまった。先週の木曜日の夕方にその件を知らされたときは、あの拷問にまた挑むのかと思うとがっくり来た。が、すぐに申し込んだ。

きょうは仕事のあと、オハイオ州の某市までやってきた。テスト会場のそばのモーテルに泊まっている。出かけるとき、車のフロントガラスにお湯をかけたのはいいが、すぐ凍ってしまった。お湯をかけてすぐ、ワイパーでしゃしゃしゃっと水を切らないとダメということを学習した。

前回12月にTOEFLをうけたとき、総合点は十分だったのだが、スピーキングが必要点を3点下回っているとのことであった。なので、今回はスピーキングに集中して対策した。

7時半受付。8時からテスト。4時間の試練。がんばってきます。少なくとも朝の天候を心配しなくていいのでよい。いざとなれば、歩いてでも会場までいけるから。下見済み。

ETS のeBook の教材は35ドルも払った割りにぜんぜん役立たなかった。(涙。)けれども世の中には親切な人もいて、ウェブサイト上でタダでいろんなヒントを提供してくれている。これからTOEFL受ける人には、こちらのウェブサイトおすすめ。
http://www.english-itutor.com/TOEFL_iBT.html
http://www.youtube.com/watch?v=Ux2Q0upiD_0&feature=PlayList&p=1B1347A8AAC4DB99&index=10

2009年2月18日水曜日

タオル と 最近の雑感


写真:連休に泊まりに来ていた NY Mom (13年前のホストマザー in ミシガン)が買ってくれたタオルセットx2。車の中で「小芋は何色が好きやったっけ?」と聞くので、「赤やな~」と答えておいたら、ウォルマートに買い物に行ったときに何気なーく買っておいてくれた。ゴワゴワしてるタオルしか持っていないところを見抜かれましたわ。。わたしが「もったいないから、今度とまとまんが来られるときまで取っとくわー。」と言ったら、今すぐ使うように言われた。とりあえず札だけは取ってみたけど、まだ使えていない。

最近の雑感を少し。

YMCA に通うようになって、1ヶ月以上が過ぎた。1週間に少なくて4回、多いと6回行っている。最近は筋肉痛を感じることがなくなった。最初の2週間くらいで、腕がムキムキしてくるのが自分でも分かったが、それからはあまり変化なし。食欲だけ向上。(もともと食いしん坊だけど、さらに。)

仕事そのものはいいんだが、それにまつわるいろんな手続きのことでストレスがたまる。Emory University Chorus にいたときのように、またコーラスで歌ってみたいとはおもっているが、近くでいいところはまだ見つかっていない。ひとつ候補を見つけたものの、ここから45分くらい離れた町で毎週7時からの練習なので、断念。(月曜日は7時まで仕事。)そのコーラスのコンサートは市内でもあるようなので、せめてそれには行きたいとおもっている。あと、近くの町にある大学のコーラスのコンサートもそのうち行ってみるつもり。いい音楽はわたしにとってすごく大事。NPR(ラジオ)を聞くだけでも少しほぐれる。

去年の自分を思い返すと、春学期の後半、3月から4月にかけてが精神的にいちばんしんどかった。あのあと大学のカウンセリングセンターに行ったりして、じぶんの面倒のみかたを自分なりに学び直したんだった。カウンセラーとの会話は今でもときどき思い出す。セッションが終わっても、カウンセリングでやったことに支えられている気がする。今はまた違う課題、状況のなかでのしんどさだけど、がんばれるとおもう。家族、友達、先生たち、ブログの読者ーー応援してくれている人がいっぱいいて、幸せ者だ。

2009年2月17日火曜日

産科に見学に行く

今日は午後から、産科提携医師のDr S 勤める病院に見学に行った。クリニックから30分弱。牧場をいくつか越えた隣町に某市立病院はある。Dr S はなんと30分くらいかけて外来から分娩室、産褥期を過ごす部屋、新生児室、ついでにERまで案内してくれた。病棟も病院全体もこじんまり、かつあたたかい雰囲気であった。(分娩室はざんねんながら、"医療現場"的ふんいきだった。)

Dr S はこの病院の唯一の産科医師で、もうひとり医師の協力の下、年間300近いお産をきりもりしている。貴重な貴重な人材だ。私が緊急帝王切開のときの麻酔は誰がするのかとか、小児科医は常駐しているのかとか、出産準備クラスはどうなっているの?など、つい質問攻めにしてしまっても、面倒くさがらずに丁寧に答えてくださってとてもありがたかった。Dr S 以外のスタッフ(看護師、ナースプラクティショナー、事務の人)の顔が見れたのもよかった。

分娩室にはちょうどわたしのクリニックの産婦さんが入っていて、麻酔科医が硬膜外麻酔を入れているところだった。

今までお産の施設を見もしないで妊婦健診・産後健診を担当してきたので、どうも気分が悪かったのだが、これですこしはすっきりした。妊婦さんには見学に行くように勧めていきたい。出産準備クラスは、年4回(2、5、8、11月)の開催だそうである。平日の夜、4週(6週だったかも)連続で完結するらしい。5月の回に参加させて、と担当のナースに電話してみるつもり。

帰ってきてから、聞き忘れていたこといくつか思い出した。今度Dr S がクリニックに来るときに聞いてみよう。

2009年2月16日月曜日

ピッツバーグに遊びにいく






昨日日曜日、午前中は教会に行って、午後からピッツバーグにくりだした。
まずはじめに、Phipps Conservatory and Botanical Gardens--植物園--へ。鮮やかな緑色を見て、花の香りに包まれるのがこんなに癒しになるとは。NYの母は「小芋、わたしやったら、会員になって3週間に1回くらいはここに通うところやで。」と。確かにそれもいいかも。幸せな気分になった後で、一歩外に出たときのショック(うっ、寒い)は大きかった。

続いて、National Aviary--鳥専門の動物園-- へ。いろんな鳥がいるもんである。手のひらに虫の幼虫を乗せて、むちゃきれいな鳥に餌付けする役をやらせてもらった。その次の部屋では、頭に鳥の糞が落ちてきた。

今日はCarnegie Science Center に行った。祝日とあって、とてもにぎわっていた。IMAX シアターという、プラネタリウム様のスクリーン目一杯に映像を写す部屋で、グランドキャニオンの映画を見た。それからいろいろな実験・体験コーナーを回った。回る小芋をご覧くだされ。

1人だとなかなかピッツバーグまで行かないが、ときどきは行ったほうがいいとおもった。

明日はわたしは仕事。NY mom と きょうだいは8時間かけてNY州の北の果てに戻る。

2009年2月14日土曜日

NY母さんと きょうだい無事到着

ニューヨーク州の北の果てから、8時間かけて母さん(13年前ミシガンでお世話になったホストマザー)と6人きょうだいの下3人が来てくれた。会うのは、去年の春休み以来。さかんに「こっちはあったかいね~」と言っている。

今日は近くを散歩しつつ案内して、それから太巻きと天ぷらを作って食べた。末っ子2人が朝食にパンケーキを作りたいというので、夕飯のあとみんなでWalmart に行って材料を買ってきた。

わたしの留学中は、12、9、7、4、0歳だった子どもたちも、今ではすっかり大きくなって、0歳だったM君が13歳である。末っ子のL君は今10歳。ミシガンにいたころの、常に途絶えることのない家中のノイズを思い出して楽しい。

2009年2月13日金曜日

ストレス解消シチュー



写真: シチューを作っているところ。(バスタオルとアメリカの母が作ったマフラーでぐるぐる巻きにして、保温調理。)

一緒に働いているベテランNP のティーナは、きょうから1週間フロリダに休暇に行ってしまいました。残った私は、検査結果のフォローアップをパソコンに入力したり(MS-DOS の画面と戦い)、ティーナが書き終わらないままになっていた書類の仕上げをしたり、といった作業をしました。というのも、私はペンシルバニア州のNPの免許は取れたものの、保険の手続きや処方箋をかけるようになるための手続きがまだ終わっていないので、まだ他のNPの監督下じゃないと患者さんの診察はできないからです。

患者さんからの質問や予約の電話が3-4本同時にかかってくると、メディカルアシスタント(今日はひとりだけ)だけでは対応が間に合わないので、自分もなるべく電話を取りました。し・か・し、MS-DOS で管理されている予約表の使い方がわかんないので、結局患者さんをお待たせしてしまうことしばしば。素朴な質問だけだったら頑張れるんだけど。

話題変わって、
エモリーに入学するはるか前のCGFNS手続きに始まって、いつも何かの手続きに明け暮れることこの数年。昨日は、今とりくんでいる書類のことでかなり精神的に打撃を受けて、ブログを書く元気すら失いました。いつもだったら書くことが癒しになるんだけどね。とまとまん に今朝スカイプで気持ちをぶちまけた後は、いくぶん前向きになって、大分作業を進めることができました。

近くには、家が浸水して困っている人、強風の被害を受けた人(木が結構倒れて、広域で停電が起きた)、通りのゴミ箱を一つ一つ見て食べ物を探している人ーーーまた新聞を見れば、飛行機事故で亡くなった人ーーそういう人たちが大勢いるなかで、自分はなぜか守られて、安全な環境が与えられて、ご飯もちゃんと食べられて(最近ストレスでおやつを食べ過ぎるのはよくない)います。恵に感謝して、ぼちぼち進んでいこうとおもいます。

2009年2月11日水曜日

妊婦健診の葛藤

今日の午後は、ひたすら妊婦健診であった。「ひたすら」という言葉は使いたくないけど、約3時間の間に26,27人の予約患者さんをティーナと私とで手分けして診察するので、どうしても時間に追われてそういう言葉を使う心境になってしまう。Dr S は私が大方の診察を終わらせているころに後から登場し、患者さんと少しおしゃべり兼 Q&A の時間を過ごす。それが済んだら今度はティーナがいる方の部屋に行く、という具合。その間にわたしは次の患者さんの部屋へ。

こういうスタイルの妊婦健診は、「人数」はみれるけど、医学的モデルの最小限のことをやるだけでいっぱいいっぱいになりがちだ。本来助産師のわたしとしては、葛藤である。尿検査、血圧・体重測定や子宮底の計測、赤ちゃんの心音の聴取以上に、この4週間(or 2週間、1週間)どうやった? という話が聞きたい。つわりとどう付き合ってる? タバコはやめられそう? 体重ものすごい勢いで増えちゃっているけどどないしたん? もうすぐお産やね、体に心はついてきてるかな? そういう内容のトークって、ある程度時間がいる。その時期時期に確認すべきpatient education の項目をただ私がまくし立ててしゃべるだけだったら、テープでよろし。より健康でハッピーな妊娠生活を送れるように、そしていいお産が迎えられるように、一緒に悩んで考える作業は手間かかるけど、私は意味があると思っている。出産準備クラスもない中だから、なおさらだ。

日本の助産院や病院の助産師外来にあるような、気持ちと時間にゆとりのある人間対人間の密なかかわりは、ここでは夢のまた夢の話だ。でも、可能な範囲で最善の妊婦健診にしたい。どこからどうしたらいいかはまだよくわかんないんだけど。

Dr S がお産を取り上げる某市民病院は、隣町にある。ホームページで産科の情報を見ようと思ったが、ホームページがなかった。いまどきホームページのない病院???、と私はすごく驚いたが、ティーナに言わせると、「この辺じゃ、ありえる話よ。」と。Dr S にぜひ産科を見学したいと言ったら、いつでもおいで、と言ってくれた。まずは見に行ってみよう。

2009年2月10日火曜日

洪水発生


むっちゃ寒い、というより「痛い」日々が続いた後で、先週末から突然気温が上がっている。仕事からの帰りに、たまたま川のほうに行ったら、畳1/3か半分はある大きな氷のカタマリが大量に流れてきていた。(写真参照) 水量もとても多い。地元の新聞によると、少し上流のほうでは、60-90cmという厚さの氷が流れ始めたのに伴って、川が氷で詰まってしまい、水が溢れ出して、周辺住宅の浸水が相次いでいるとのこと。このようなタイプの冬の洪水がこの辺で起こるのは20数年ぶりとか。被害を受けた方々は本当に大変だと思う。あったかいといっても、この前に比べてあったかいだけで、やっぱり冬。

また近々氷点下の世界に戻るので、この暖かさになれちゃいかん、とじぶんに言い聞かせている。灰色の世界にずっといると(ハボタンもないぜ)、雪の下から出てきた芝生の一部の緑を見ただけでも、ちょっと感動できる。

ワーク・エクスキューズ

患者さんに自宅安静が必要なとき、患者さんの勤務先にその旨を伝えるために Work excuse と呼ばれる紙を書く。いってみれば、簡単な診断書。しかし現実には、自分が患者さんに自宅安静を提案することよりも、患者さんからの強いリクエストが先に来ることのほうが多い。

痛みなどの不快感に対する許容度は個人差が大きい。体は代われないから、患者さんが言う話からでしか自覚症状を想像するほかない。私がティーナに「Aさんが仕事を少なくとも1週間は休みたいっておっしゃってるんですけど、どう思います?」と相談すると、「小芋が適当と思うときはいつでもどれだけでも work excuse を書いたらええけど、例えば妊娠したゆうだけで大騒ぎで、何かと理由をつけては仕事休んだろっていう人もおる。その辺はちゃんと医学的な必要性をよう考えんといかんよ。」と返ってきた。妊娠などの体の変化によって、感覚が敏感になったり、不安になったりするのはどこでもある話だとおもうが、ティーナの発言の背景には、福祉援助に依存的なこの地域の特徴にたいするイライラ感もあるように思う。

患者さんの話、不安な気持ちにはしっかり寄り添いつつも、安静の必要性などの判断には、よく吟味がいるってことだ。work excuse は本来患者さんを守るひとつの手段であって、「おさぼり」のための葵のご紋になっちゃぁ困りまする。

2009年2月9日月曜日

ペンシルバニアのNP免許獲得

先週金曜日の午後、ペンシルバニア州のナースプラクティショナーの免許が取れました。まだオンラインで確認できるのみで、免許証が来るまでにはあと1週間くらいかかるでしょう。今度は処方箋が書けるようになるため (prescriptive authority) の手続き を始めました。卒業したNPプログラムのディレクターに、薬理学を45時間以上履修した証明書を発行してもらい、また collaborating physician (協力医)にも書類を書いてもらわないといけません。ひとつハードルを越えるとまた次のハードル。ひーっ。

月曜日は11時出勤なので、朝は余裕があります。でもその分しわ寄せは午後と夜にちゃんと来ます。休憩は3時から4時。スタミナが切れないように途中おにぎりを食べていても、お腹がすいちゃいます。最後の1時間にはどぉーっと疲れを感じます。火~金曜日は4時に終わるので帰るときはまだ明るいですけど、さすがに7時となると外は真っ暗です。ティーナが家まで車で送ってくれるので助かります。


今朝8時過ぎに、無事マットレスが届きました。仕事に間に合うように来てくれるかとても心配で、昨日念押しの電話をしていたのがよかったのかもしれません。

とりあえず今日はもう寝ちゃいます。

2009年2月8日日曜日

日本人ネットワーク



写真: きょうご馳走になってきた、ロールケーキとかりんとう。おいしかった!

アトランタの友達Y香さんが、ペンシルバニアに日本人の友達がいるよー、と言って、S子さんを紹介してくれた。S子さんは、わたしの住んでいるところから、1時間ちょっとのところに住んでいることがメールのやりとりでわかった。日本に一時帰国中のS子さんは、ペンシルバニアの日本人の友達に「小芋さんっていう人が引っ越してきました。」とお友達にメールで声をかけてくださった。

ペンシルバニアって、面積でいうと日本の総面積の35%くらいある。東はフィラデルフィア方面、西はピッツバーグ周辺には、日本からの駐在員として来ている人、留学生(ほかの大学町にもね)など、そこそこたくさんの日本人がいるだろうと予測できるけど、都市から一歩離れたこのあたりにはアジア人自体がとても少ない。だから、この辺じゃたった一人の日本人やわー、と勝手に思いこんでいたので、急に何人もの日本人の人とつながりができて、嬉しびっくり。人のつながりってすごいもんだ。

今日そのうちのお2方とランチを食べに出かけた。ランチのあとは、おいしい手作りケーキと日本製のかりんとうを頂きつつさらにおしゃべり。出てくる話題ひとつひとつがとても面白い。話は尽きず、一度ではとてもとても聞き足りない。また近々ぜひ機会をつくって会いに行きたい。季節がよくなったら、ちょっと離れた町に住んでいる人のところにも、ぜひ行ってみたい。

2009年2月7日土曜日

マットレス購入

大家さんの経営している会社で働いているスタッフが、「うちに使ってないベッドがあるけん、あげるわー!」と言ってくれていたものだから、楽しみにしていました。息子さんがトラックで運んでくれることになってたんですが、今週になって、「やっぱりあれはあげられへんわー。」と言われてしまいました。さすがに、エアベッドでの生活も1ヶ月を超えてくると、しっかりしたマットレスで寝たくなってきます。

Freecycle (不用品を必要な人に無料であげるためのウェブサイト。地域ごとにある。)で気長に誰かがマットレスを手放すのを待つ方法、Goodwill や Salvation Army のような thrift store (チャリティー型リサイクル店)を頻繁にチェックして、マットレスが出回るのを待つ方法も考えたのですが、運よく見つかったところで、自力では持ち帰れない という問題が残るので、思い切って新品を買うことにしました。

で今日、近くの店と、30-40分遠くの店とを見て、遠くの店のほうで契約しました。2件で十分疲れました。(本来買い物って楽しいはずだけど、「懸案の課題」としての買い物はちっとも楽しくない。ひとりやし。)月曜日に搬入してくれるとのこと。マットレスって、やっぱり安ければそれなり、高ければそれなりの質ですね。普段は超節約生活の私ですが、今回は「中の上」くらいのレベルのを買いました。じぶんとしては、かなり贅沢の域。

月曜日の出勤前に搬入してくれることになってますが、ちゃんと約束どおりに来てくれるか心配です。でないと、私が遅刻してしまう。

2009年2月5日木曜日

ベイビー・ママとは

Baby mama とはどういう意味だとおもいますか? わたしは最近まで知りませんでした。初めて耳にしたときは、小柄なお母さんのことをいうのかなーと思いました、が違いました。

カジュアルな性関係で赤ちゃんが出来たとき、男性側が女性のパートナーを指していう言葉だそうです。

使い方の例: 「Baby mamaがクラミジアにかかったから、僕も治療が必要だというんで来たよ。僕はべつに痛くもかゆくもないけど。」 
初回の妊婦検診で、ルティーンで行っているクラミジア・淋菌感染症の検査の結果、クラミジア感染が分かり、女性側が、パートナーすなわちBaby dad に治療を促した。それでクリニックにいらした患者さんです。

クラミジア感染症は、州のDepartment of Health に報告が義務付けられている感染症のひとつです。診察の際、患者さんにはパートナーの名前・電話番号を尋ねるとともに、パートナーに治療を促すようにと勧めます。もし、患者さんが直接パートナーに言うのは避けたい、という場合は、Department of Health のほうから、「感染のリスクがあるので、治療が必要です。」とパートナーに電話または訪問で連絡が入って、治療が始められることになります。その際、Department of Health は、だれから感染の報告があったかについては告げません。

悲しいのは、Baby dad である患者さんが、Baby mama のフルネームの正しいつづり方を知らなかったりすることです。もちろんその逆で、女性側が相手の名前をよく知らないこともあり。そのぐらいカジュアルな関係のなかで、ママのおなかに宿った赤ちゃんーーーたくましく元気に育ってほしいです。

2009年2月4日水曜日

アーミッシュ女性の健診

アメリカ北東部、とりわけペンシルバニア州には、アーミッシュ(Amish) と呼ばれる人たちが住んでいる。18世紀にヨーロッパから移住してきた時代とほぼ変わらない、信仰を重んじた伝統的な暮らしをしている。電気や自動車を使わず(普段は馬車。バスなどに乗ることはあっても、自ら車の運転はしない)、自給自足の生活が基本。質のよい卵や野菜、牛乳などの乳製品、丈夫な家具や美しいキルトなどは、アーミッシュ外の一般人の間でも高く評価されていて、アーミッシュの人たちにとっては貴重な現金収入源にもなっている。

クリニックの仕事のひとつに、2ヶ月に1度、アーミッシュの女性を対象とした健診に出向く、というのがある。アーミッシュの人が多く住む町に私たちスタッフが出張し、その町の保健センターのようなところの診察室を借りて、診察をする。今日はじめてその日が来た。ティーナと、アシスタントのジュリーと、私の3人で向かった。保健センターには、州の保健省のナースも3人来ていた。彼女たちの中には、普段からアーミッシュの家庭を訪問している(子どもたちの予防接種のためなど)人もいて、患者さんの家族背景をよく知っていた。彼女たちの宣伝効果によって、このような健診の機会を知ることになった患者さんはきっと少なくないだろうと思う。

アーミッシュの人たちは、健康保険に入っていないのが普通ということだが、子宮がん検診とマンモグラフィーを含む検診は、州政府のプログラムによって無料で受けられる。患者さんの利便性を重んじて、私たちが診察したあとに、廊下の奥の部屋でマンモグラフィーを受けられる。待ち時間もとても短い。冬は天候によって、来られない患者さんが多いとのことだったが、今日は雪降る中でも予約の通り来て下さった方がほとんどだった。

アーミッシュ同士ではPennsylvania German もしくは Pennsylvania Dutch とよばれる古きドイツ語を話すそうだが、英語も全く問題なく話せるので、コミュニケーションで困るということはない。とてもやさしい人たち、という印象をもった。そうティーナに言ったら、「本当にやさしい、気持ちのよい人たちよ。でもね、彼女たちはとても男性主導の世界にいて、不満を口にしたくても言えない環境にいるという面もあるのよ。心の病に悩んでいる女性も少なくないし、DVもある。」と。たしかに、抗うつ薬を服薬している患者さんが今日半日のあいだだけでも数人いらした。

ご本人、もっといえばアーミッシュの女性一般は、タバコもお酒もやらないのに対し、男性陣は喫煙(パイプ)もお酒もOKということになっているようで、受動喫煙に悩む声が聞かれた。

次回(2ヵ月後)からのアーミッシュ・コミュニティーへの出張は、私とメディカルアシスタントの2人で行くことになる。診察の内容は、項目的には普段と何も変わらないけれど、自分がアーミッシュの人の生活・文化背景を知らなかったら気づきのアンテナに何も引っかかってこないと思う。かといって、一般的雑学だけ増やして、judgemental (決め付け) になってもいけない。いずれにしても、さらから学んでいこう。


アーミッシュについて興味ある方へ。ウィキペディアで概略が読めます。
(日本語のサイト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5
(こちらは英語のサイト。写真は日本語サイトより多い。)
http://en.wikipedia.org/wiki/Amish

2009年2月3日火曜日

笑顔

今日のズンバダンスのインストラクター2人は、あんまりにこにこしない人たちだった。ダンス自体はむちゃうまいのだが、あまり参加者のことを気にしないでただひたすら踊って、自分たちだけで楽しんでいる(わたしの勝手な想像だけど)印象を受けた。わたしが出会ったことのある他のインストラクターは、踊っている姿がいかにも楽しそうで、加えてポジティブなコメントをまめに言う人たちだったので、それにつられてこっちも盛り上がってく感があったんだけど。

昨日もらったコメントに、笑顔のススメがあった。顔と体全体から自然にでる笑顔をめざそうとおもう。

氷点下の世界が1週間以上続いた後で、2日ほど0度を上回って(最高気温の話ですよ)、今日はまた氷点下の世界。マイナス4℃でもあたたかく感じている自分にびっくり。道路の上に直に降った積もりたての雪の上は滑りにくいが、近頃はふわっとした雪の下に、前に降った雪が硬ーい岩盤のようになって残っているところがあるので、気を抜いて歩いているとヒヤッとする。

2009年2月2日月曜日

初めての婦人科健診

小児科を卒業して、乳房の触診や子宮がん検診を含む婦人科健診を受ける10代の患者さんは、多少なりとも緊張してやってくることが多い。なるべくリラックスした状態で過ごしてもらいたいと思うのだが、難しい。月経の様子や、今までにかかった病気のこと、家族の健康状態などの話を始めに聞くので、話しているうちにリラックスしてくれる場合も少なくないが、場合によっては、わたしが診察室に入る前から、ヒックヒックと泣きながら恐怖におののいている患者さんもある。

事前に何をするか説明することがとても大事だが、「ほどよい」説明のレベルに迷う。細かい説明を望む人、むしろあんまり聞きたくないわという人、その頃合いが微妙である。

はじめての婦人科健診の印象が、患者さんにとって「よかった」という評価にはならないまでも、せめて「心配していたほどたいしたことなかったわー。」という思いで帰ってもらえるように、自分の話術も診察の技術ももっと磨かなくちゃ。

2009年2月1日日曜日

スティーラーズ勝つ


昨日も今日も、ものすごく強力な睡魔に襲われて、昼寝を1日に2回もしてしまいました。熱があるわけでもないのに、とても体がだるくて、まるでインフルエ ンザにかかったときのように、いくらでも眠れるのでした。これを自分でどう解釈すべきかちょっと困っています。ぐーたらぐーたら怠けているのか。本当にここまで疲労がたまっていたのか。

眠りすぎて、YMCAに行けなくなってしまい(日曜日は早く閉まるので)、久々に散歩をしました。今日は気温が上がって、雪がかなり溶けてくれて、歩道を靴で(ブーツじゃなくて)歩けました。すばらしい。むっちゃ手振れしてますけど、夕焼けの写真をお届けします。

1時間ほど前、スティーラーズがスーパーボウルを制しました。スーパーボウル6回制覇は、史上初の出来事とのこと。あしたは職場のスタッフも、みんな満面の笑顔でしょう。わたし、フットボールの細かいルールはちっとも分かってません。でも、一応この試合は見ておいたほうがいいだろうと判断して、見てみました。試合はしょっちゅう中断して同じ映像が流れるので、合間に本も読めました。これはすこぶる正しくない観戦の仕方だとは思います。基本的に、フットボールの暴力的なところは好きになれないのですが、まっすぐ高速で飛んできたボールを、空中で両手でパシッと受け止める姿は見ごたえがありました。